2500年前のはなし。。
写真は丹波篠山のカフェごはん。旧小学校リノベーションでした。
ふと、昔のヨガノートを見直していたら、何かの本を読んだメモを発見。
2500年前のソクラテスとグラウコン(プラトンの兄)の会話の記録でした。
ソ:国というものは簡素であるべきなんだ。人々は大麦や小麦、塩やオリーブ、チーズなどの薬味や前菜、
そして田舎料理の湯でたキャベツや玉ねぎ、デザートにはイチジクやえんどう豆、豆類、炒ったマートルの実やブナの実など。
それに適度のワインなどを常食すべきだろうね。
グ:そんな食事は豚のような人間が住む国にふさわしいものであって、都会に住む人間はもっと文化的な生活をすべきだね。
ソファーに身を横たえ、いつも素敵な料理やデザートが盛られたモダンな食事をすべきなんだ
ソ:もし君が病気で苦しむ人々でいっぱいの都市を想像してみろというなら君のいってることはよくわかる。
だがそうした食べ物を食べるには、あらゆる種類の家畜も大量に必要になるね。
グ:もちろん。
ソ:そんな暮らしをしてたら、医者の世話になることがもっと増えるんじゃないかな。
グ:そうだろうね。
ソ:ぜいたくな食事は家畜を育てるのに余計な土地が必要になって、土地が不足しちゃうよ。
土地の不足は隣国から土地を奪う方向に向かい、これがやがて暴力や戦争を引き起こすことになる。
結果として裁判の必要性が出てくる。放蕩と病気が市内にあふれてくると法廷や医院が数多く必要にならないだろうか。
たくさん良家の人でさえ法律家や医者を目指すようになると法律や医術ばかりが幅を利かせることにならないだろうか。言い換えると、病人や病気、法律家や医者の多いぜいたくな都市がふつうになってしまうだろう。
すごい会話じゃないですか・・?
走り書きで、「プラトンは我々はあくまで危険を覚悟で動物を食べるだろう、と述べている」とも。
現代社会を、2500年前の人たちはたやすく想像できてたんですね。。
辰巳芳子さんも言ってますね。ちょっとちがうかもしれないけど、
我々は、食べるべきものを、食すように食しなさいって。
物価上昇してるし、本当に体をつくるものは何か。選んでいかないと!と改めて思いました♡